エッセイスト阿川佐和子!老いも受け入れながら笑って今を生きる
両親と夫、親友を見送った今、思うこと
詩人・伊藤比呂美さんが語る「大切な人を失った寂しさと向き合う3つの習慣」
80年代の女性詩ブームを牽引し、子育て、更年期、介護など女性の人生を綴ってきた詩人・伊藤比呂美さん。両親や夫、親友との別れを経験した今、死をどう受け止め生きているのか。父との記憶をたどった作品や喪失の寂しさとの向き合い方について伺いました。
INDEX
伊藤比呂美さんのプロフィール
いとう・ひろみ 詩人。1955(昭和30)年、東京都生まれ。女性詩ブームを牽引し、結婚、出産、離婚を経て97年、3人の娘と渡米。パートナーとアメリカで暮らしながら、熊本に住む両親の介護に日米を往還。両親とパートナーを順に看取り、2018年、拠点を熊本に移す。子育てや更年期、介護など女の人生を文学に昇華させた作品が人気。『良いおっぱい 悪いおっぱい』(集英社刊)、『ショローの女』(中央公論新社刊)、『女の一生』(岩波書店刊)など著書多数。
「私の人生を形づくった」父との記憶をたどる作品

20代で詩人としてデビューし、離婚や出産、米国移住、子育てなど、自身の体験を作品に投影してきた伊藤比呂美さん。50代からの20年間は、まさに怒涛の日々でした。
「カリフォルニアに住みながら、両親が暮らす熊本と行き来する遠距離介護をして、母を、父を、そして夫を順番に見送りました。その間、思春期に困難を抱えた娘3人も、必死で育ててきました。そうして60代のとき、片道切符で一人、熊本に戻ったんです」
これまで、子育てや更年期など、自分の体験を言葉にしてきた伊藤さん。心の片隅には、ずっと「いつか父のことを書かなければ」という思いがありました。
その思いが結実したのが、最新作『わたしのおとうさんのりゅう』です。本作は、伊藤さんの言葉を育んできた児童文学を手掛かりに、幼い頃の記憶をたどりながら、戦地帰りの父がどんな人間だったのかを探っていく一冊。記憶と文学を行き来しながら父の姿に迫る、半自伝的作品でもあります。
「私を児童文学の世界へ導いてくれたのは父でした。8歳くらいの頃、東京・板橋の狭い借家で、印刷所に勤めていた父が、ひざの上に私を乗せて読んでくれたのが、『エルマーのぼうけん』初版の校正刷りだったのです。
借家には不釣り合いの大きな縁側で、籐いすに寝そべりながら聞いた父の声と、そのとき見た空の色や匂い。その景色の中には、もちろん母もいます。今考えてもあの一場面が、私の人生を形づくっている。だったら、それを書こうと思いました」
刺青のある父、芸者だった母。戦争に翻弄された人生
父親を書く上で、軸となったのは「戦争」でした。
数年前から伊藤さんは、ラジオ番組「戦争の向こう側を考える会」に参加しています。文学作品を通して、戦争の実相や、現代を生きる私たちにとっての意味を読み解く番組です。「戦争文学に触れるうちに、両親があの時代特有の価値観のもとで生き、戦中、戦後と過酷な経験をしてきたことが、腑に落ちるようになりました」と言います。
「当時、父は家の外では真夏でも長袖のシャツに長ズボンをはき、袖をまくり上げていました。刺青が少しでものぞくと、母は鋭い声で『あんた』と注意し、父はさっと袖を下ろす。そんな二人でしたが、父は家の中では無防備に、『俺がばくち打ちだったときね』と語る人でもありました。一方、母には芸者として生きた過去がありました」
そうした記憶の断片を思い返しながら、伊藤さんは言います。
「親になる前の二人の人生を知ることで、初めて両親を深く理解できるようになったんです」
戦争という大きな渦にのみ込まれ、戦後は今日を生きるため、生活のために、人には言えない選択を迫られることもあったはずです。戦後という影を背負った父と、芸者をしていた母。二人はどんな人間だったのか――その問いへの答えが、伊藤さんの中で輪郭を帯びていきました。
そのとき、伊藤さんの脳裏に浮かんだのが、意外にも「美少女戦士セーラームーン」の歌詞、「同じ地球(ほし)に生まれたのミラクル・ロマンス」でした。
すべての生き物は、生まれ変わりながら命をつなぎ、広大な宇宙の中で、同じ時代、同じ惑星である地球に、偶然にも存在している――。父の人生も、そうだったのかもしれません。
児童文学に描かれた戦争の傷と、父の面影

偶然、あの時代に生まれ、戦争に巻き込まれ、人には言えない仕事を選ばざるを得なかったこともあった。それでも、その父がいたからこそ、伊藤さんは児童文学に出合い、言葉を紡ぐ人生を歩んできました。
戦争は、児童文学とも深くつながっています。
「児童文学をひもといてみると、戦争の影響が色濃く表れていることがわかります。『ドリトル先生』や『メアリー・ポピンズ』には、戦争によって心に傷を負った男たちが、数多く登場するんです」
これらの作品に描かれているのは、「堅実な仕事に就き、家族を養い、社会から尊敬される人生」を歩む男たちとは、正反対の生き方をする人物たち。伊藤さんは、そうした男たちに、真夏に袖をまくる父の面影を重ねてしまうといいます。
「人は、あまりに苦しい現実から少し距離を取るために、別の世界を創り出します。そして、その世界を子どもに語る方法として、ファンタジー文学が生まれていったのではないでしょうか」と、伊藤さんは語ります。
両親、夫、親友との別れ。「死はただ寂しいもの」
伊藤さんは遠距離介護の末に熊本の両親を見送り、10年前には夫を亡くしました。死について、「もっと残酷なものかと思っていましたが、現実はただ寂しいものでした」と語ります。
「50代の頃は、まだ実感がありませんでした。でも60代になると、連れ合いや親友が、ぽつ、ぽつと欠けていく。28歳年上の連れ合いとは、アメリカでずっといがみ合って暮らしていて、何度『別れたい』と思ったかわかりません。
でも本当に彼がいなくなったとき、空虚さに襲われました。ちっともせいせいなんてしない。振り返ると、あの頃は夢中でお経に取り組むことで、真空管の中にいるような無音の寂寥を、必死に忘れようとしていたのかもしれません」
昨年には、もう一人、大切な人を見送りました。親友だった料理家の枝元(えだもと)なほみさんです。
「病名を告げられて、いろいろ調べてみたんですが、何を見ても余命3年〜5年と書いてある。すぐには受け入れられませんでした。ねこちゃん(枝元さん)の病気の話を聞く直前に、親しかった友人夫婦の夫ががんになった。その奥さんが『夫とは一緒に年を取っていくと思っていたのに』と泣いていると友人夫婦の夫に聞いて。
私も同じでした。これまでのように一緒に年をとって、80歳、90歳になっても、『ねこちゃん』『ひろみちゃん』と呼び合いながら生きていく未来が、当然のように続くと思っていましたから」
23歳の頃に出会った二人は、何者でもない時代からの付き合いでした。伊藤さんが40歳のとき、アメリカで出産した際には、枝元さんが翌日に駆けつけ、あずきとタピオカ、ココナツミルク入りのぜんざいを作ってくれたといいます。「それはもう、おいしかった」と振り返ります。
枝元さんが病を患ってからは立場が入れ替わる瞬間もありました。
「出会って40年以上、ねこちゃんは料理を作る人で、私は食べる人。それが、私の作った天津飯を『おいしい』と気に入ってくれて。元気な頃には考えられなかった光景でしたが、それも年を重ねるという自然な流れだと」
伊藤さんは、少しずつ弱っていく枝元さんの姿を受け入れていったといいます。
大切な人を失った寂しさを癒やす、日没と小さな命
亡くなった後も、ふとした瞬間に、その不在を突きつけられます。
「きれいな景色を見ると、『写真に撮って送らなきゃ』と思って、もう送れないことに気付く。今も『今から帰ります』とねこちゃんにLINEを送ってしまうんです」
名づけようのない感情が胸に広がるとき、伊藤さんは日没を見ます。
「空が染まって、陽が落ちていく。ただ、その日の空をじっと見る。それだけでいいんです。『今日はこの形がきれい』『今日は雲で見えない』と心の中でつぶやく。散歩をして、足元の植物を見るのもいい。『この花はいつ咲くのかな』と、思うんです」
身近にある小さな命の息遣いに触れ、自然の摂理を感じる時間。その積み重ねが、静かに心を癒やしていきます。
さらに意識しているのが、体を正しく使うこと。
「ズンバにハマっていますが、ただ音楽に合わせて踊るだけではダメ。足の向きや腰の動きを意識しないと、体を痛めてしまう。体をほぐすことは心のケアにもつながります。今の自分を抱きしめ、いつか死ぬという事実を受け入れる準備にもなる気がするんです」
喪失の寂しさと向き合うための3つの習慣
- 毎日、日没を見る
- 外に出て雑草に目を向ける
- 体を正しく使う
伊藤比呂美さんの半自伝的作品『わたしのおとうさんのりゅう』

子どもの頃読んでいた『エルマーのぼうけん』『ドリトル先生アフリカゆき』など児童文学を振り返りながら、読み聞かせをしてくれた父の過去の秘密を追う半自伝的作品。2200円(左右社刊)
取材・文=児玉志穂(ハルメク編集部)、撮影=松村隆史
※この記事は、雑誌「ハルメク」2026年3月号を再編集しています。
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