人生後半戦を生き抜くための“稽古”とは
大病、離婚、仕事減…青木さやかさん「50代は必死。でも生きやすくなった」
「若いときの大変さって甘かった」――50代になり、体力や仕事の変化を実感する青木さやかさん。それでも「年齢を重ねてよかった」と語ります。必死に生きながらも、どこか生きやすくなったという50代の今について聞きました。
人生は、一度咲いて終わりではない。経験を重ねるほどに、何度でも花を咲かせ直す人がいる――。
「どこ見てんのよ!」で一世を風靡し、芸能界で唯一無二の存在感を示してきた青木さやかさん(53)。
大ブレイクの裏にあった本音、怒り、そして、期待通りにはいかなかった日々。病をきっかけに始まった「八道(はちどう)」、母との最後の時間、娘への思い、コロナ禍のもがきを経て、人生後半戦を生き抜くための“稽古”の日々について、思いを打ち明けてくれた。
八方塞がりで気付いた「上ならある」
――離婚を経験され、大きな病気もされました。
1人で仕事も子育てもしているなかで病気になったとき、八方塞がりになって。どっちを見ても答えがない。そうなったときに、あ、上はあるのかもしれないと思いまして。
――“上”というのは、どういうことですか。
自分の今までの考え方とはまったく違う考え方とか、やり方のことです。今まで私が信じてきた常識のなかには、私を楽にしてくれるものはなかったから、そのとき初めて、上を見ようとしたんだと思います。
自信のなさや怒りを燃料に、自力で何とかしようとしてきた。けれど病気になったとき、それではもうどうにもならなかった。どこにも行けないから、上を見る。それは、苦肉の策でもあったのか。
金髪・金歯の友との出会い
――大病を患ったことが最大の転機でしょうか?
人との出会いもそうです。とくに(甲田)武司さんとの出会いは大きかったです。縁あってNPO法人TWFの会という動物愛護の活動に参加したときにお会いしました。この会の創立者なのですが、ちょっと風貌から変わっていて、金髪で、金歯で、金歯にダイヤが入ってるんです。
――なかなか情報量が多いですね(笑)。
見た目だけでなく、私の固定観念を壊してくれた人です。
あるとき、彼は自分の歯を赤か青にしようとしていたことがありました。「赤か青かどっちがいい?」って聞かれて、私は「白がいい」って答えたんですけど、武さんは「歯が白いって誰が決めたの?」と。歯が白であることすら固定観念だとしたら、この世は固定観念だらけだってことを私に教えてくれました。
――歯は白くなくていい……は、すごいですね。でも、その言葉を信じる青木さんはピュアな人だなと。
ピュアというより、素直な人間だと思います。だから、人によってはだまされるよと言われることも多いです。でも、それも私の良いところなのかなと。疑わないし、ガードしないから、いろんな人に出会える。
――だまされた経験も?
それは、自分がだます側にならなきゃいいって思っています。そこは、あんまり悲観的には捉えていません。自分の知らないことや自分とは異なる価値観に触れると、“怪しい”と思うものですよね。でもそれは、自分の価値観だなぁと。
青木さやかの「八道」
――病気になってから、具体的に変えた習慣とかはありますか?
「八道」を始めました。うそをつかない、悪口を言わない、優しい顔つきをする、悪い態度をとらない、ていねいな言葉づかい、約束を守る、ふてくされない、悪い感情を出さない、という八つのことをやり始めたんです。
――かなり具体的ですね。
八道は動物愛護の活動で出会った、今は亡き友人に学びました。今までは「なんで」とか、「でも」とか、「だって」とか、そういう言葉をよく使う人間でした。それを「はい、わかりました」という言葉に変えてみたんです。「心ってなかなか変えられないけれど、行動は変えられる。行動を変えれば、環境も変わる。そしたら気持ちも変わっていくよ」って言われて。実際、そう感じます。
その愚直な行動の積み重ねが、青木さんの人生の転換期の始まりだった。
――ほかに、変えた行動はありますか?
母のホスピスに通ったこともそうです。向こうはどうかわからないけれども、私にとってはすごく苦手な人だから、ずっと遠ざけていました。
でも、そんな母がホスピスに入ったとき、武司さんにその話をしたら「これが最後のチャンスだから仲良くしてきたら?」と。「親子関係が改善したら、人間関係も良くなる。親子関係が人間関係の基本だから、自分のために行ってみたらいいよ」と言われて、なるほど、と。
――それで会いに行った。
当時の私は、肺がんでパニック症にもなった。病気は私にとって大きな出来事だったので、人生を振り返るきっかけでもあったんですね。
それで、まず過去のことを反省しました。その時々の理由はあったのかもしれないけど、私が傷つけてきたいろんな人に謝りたくなったんです。じゃあ、まず謝るべき相手は誰かと言ったら、母親だなと。
――正直ですね。実際に会ったことで、和らいでいったものはありましたか。
結果的には気持ちは変わっていきました。世の中で一番嫌いだった人を嫌いじゃなくなったのは、とても大きかったです。これまで私が嫌ってきた人や、嫌われてしまった人を、いつか好きになったり、好きになってもらえたり、許したり、許されたりする未来があるかもしれない。そう思って生きられるようになったことは、よい発見でした。
娘に「相談できる大人」を
――母親との関係があったからこそ、娘さんとの関係では気をつけてきたこともあるんでしょうか。
私は、「勉強しろ」って押し付けられてきたので、「勉強なんかしなくていい」って娘に言ってきたら、娘から「勉強するなって押し付けるな」と言われたことがあって。難しいんだ、というふうに思いましたけど。
――娘さんとは本音で話せる良い関係なのでしょうか。
仲は良いと思います。私が親として努力してきたことといえば、娘が相談できる大人をたくさんつくろうとしたことです。
――それは、シングルマザーで病気になったことも大きいのでしょうか。
そうですね。病気になってから、私が死んだあとに娘の味方になってくれる人をつくろうって考えるようになりました。それを念頭におくと、自分の主張は二の次になりまして、これまでは、自己主張で他人とぶつかっていたけれど、そんなことはすごく小さなことに思えるようになった。
それよりも、娘が相談できる、娘の味方になってくれる大人たち――私の前の夫やその家族、私の親、友人、同じマンションの人、学校関係者、すべての人と娘がうまくいくように、私はそことつながるように努力をしました。そこだけは努力しましたね。私なりに。
――完璧な母になるのではなく、娘さんがみんなに助けてもらえる環境をつくった。
それから「娘が私の愚痴を言えるような大人」もつくろうと思いました。
コロナ禍の「新たな実験」
――青木さんが病気だった時期は、コロナ禍でもありましたよね。青木さんにとって、どんな時間でしたか。
私、実はコロナのときにいろいろと勉強をしました。あの時期は病気で療養中だったし、仕事もなくて暇だったんです。いろんなことを考えましたし、勉強会みたいなものに参加したりもしました。自分なりに学んだことを実践してみようと思って、行動もしました。こういう行動をしてみたら、仕事や人間関係はどうなるんだろう、自分の気持ちはどう変わるんだろう、って。
――実験みたいですね。
そうですね。ほかの仕事にもチャレンジしてみました。産後ケアセンターの料理人とか、ピアノ教室の先生とかです。
――仕事が減ると、生活やお金の不安にもつながります。青木さんは、最近、著書の中でお金のこともかなり率直に書かれています。
若い頃から、お金に対しては無頓着。たくさん使いたいなら、たくさん稼げばいい、という感じでした。何も考えずに稼いだぶんだけ使っていました。今も根っこは変わってなくて、使いたければ、稼げばいいと思っています。
でも、まだ50歳で、もしかしたらあと50年生きるかもしれない。娘には迷惑をかけないように最後まで、と思っているので、今のお金まわりを見直すってことは、重要だと思いました。お金を知ることは、自分を知ることにつながりますね。
――年齢を重ねて、仕事や人生への意識は変わりましたか。
「売れない時期があって大変だった」って、かつては思っていました。だけど今思うのは、若いときの大変さって甘かったなと思います。50代の大変さもあります。体力はなくなっていくし、世の中の中心ではなくなっていく。この仕事をしていても、しゃべりの反射神経も衰えていくと思います。時折、その必死さは衰えないなと思います(笑)。
――50代なりの必死さのなかで生きていかなきゃいけない。
私は年齢を重ねてよかったと思っています。必死にやっていかなきゃならないけど、どこか生きやすくなって、楽しくなっているということですかね。人に頼れるようになって、感謝できるようになってきたというのもあります。
――安泰はないんですね。
どうでしょう。私は、常につま先立ちして生きてるし、生きてるうちはずっと、つま先立ちして生きようかなって思っています。
50代でも「続けるしかない」
――50代に必要なのは、かかとを上げた生き方なんですね。
そこまでやったら、自分でも頑張ったって言えますよね。
――人生後半も、人は何度でも新しい自分に出会えるのではないかと思います。青木さんにとって、「何度でも開花する」とは、どんなことだと思いますか。
何度でも開花するっていう感覚はわからないですけど、でも、続けるしかないんじゃないですか。人生は稽古かなって思ってます。自分は変われたのか、人生がうまいこといったのかなんて、自分ではわからないと思います。
変わったと言い切るには、まだ途中。幸せになったとまとめるには、人生はあまりに簡単ではない。それでも、少しずつ行動を変え、人との関係を結び直しながら、今日1日を重ねている。青木さんの稽古は続く。
取材・文=芳麗
※本記事は『東洋経済オンライン』2026年7月31日配信の記事を紹介しています。
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