モノが減ると不安も減る、実家の断捨離#1
義実家の「断捨離」が必要になった!やましたひでこさんが直面した葛藤
「義実家の断捨離」には血縁がない義理の親だからこその難しさがあります。断捨離提唱者のやましたひでこさんが、20代での義両親との同居体験で感じた価値観や言語空間の違い、そしてモノに表れる本質についてリアルな体験談を明かします。
INDEX
教えてくれるのは、やました ひでこさん
断捨離(R)提唱者。ヨガの行法哲学に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。『断捨離』(マガジンハウス)は、日本はもとより台湾、中国でもベストセラーとなり、関連書籍は累計300万部を越えるミリオンセラー。最新著に『モノが減ると不安も減る 実家の断捨離』(大和書房)
新婚早々、やました家でカルチャーショック

「義理の実家の断捨離」は、「実の実家の断捨離」とは全く別の難しさがあります。血縁がない、育ってきた環境が違う、大切にしてきた価値観が違う。それでも見て見ぬふりはできない、投げ出すわけにもいかない、タイムリミットがある、などなど、「義実家の断捨離」は待ってくれません。
時は、私が結婚をした20代の頃に遡ります。私の生まれ育った家は、父、母、姉が常に言い合いをしている騒がしい家庭でした。家族はバトルフィールドという意識が刷りこまれていた中で、自分の居場所をみつけられないまま、大学を卒業し、結婚。石川県小松市に移り住み、夫の両親と同居する生活が始まりました。
夫・じゅんちゃんはやさしい人で、いつも「いいよ、いいよ」と私を肯定してくれます。私は夫に「懐いた」という感覚がありました。育った家庭には自分の居場所がない、でもここは居場所だと感じたのです。
夫が生まれ育ったやました家は、私の実家とは別世界でした。まだ新婚間もなかった頃。私は壁に掛かっていた時計のホコリを払おうと掃除機で吸い取ろうとしていました。掃除機の一部が時計に当たり、時計のケースのガラスがパリンと割れてしまいました。
すると、「大丈夫か、ケガはないか?」という言葉が飛んできたのです。声の主は義父だったでしょうか。「ケガはないです。でもガラスが割れちゃって」と言うと、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と手際よくラップを敷いてガラスの破片を保護し、「よし、これで大丈夫」と言ったのです。
一言も責められず、むしろ心配され、かつ起きたことの事後処理までしてくれる。その出来事はカルチャーショックそのものでした。これがもし実家だったら「何やってるの、また割って!」と責められたに違いありません。
義理の両親は「よい人」それでも気になりだしたこと
私は大学時代に出会ったヨガの講師を続けながら息子を出産。夫の家業を手伝いながら主婦業をし、普通の幸せを手に入れたと思っていました。義両親は孫をよくかわいがってくれ、私がSOSを出せば世話もいとわない。だから息子はおじいちゃん、おばあちゃんが大好きです。
義両親はそんな「よい人」たちでしたが、同居となるとちょっとしたことが気になりだします。
それは義両親、特に姑が「世間体軸」だったことです。この地域に限らず、戦後日本の多くの地域は「世間体軸」であり、「町舅・村姑」が跋扈(ばっこ)していました。お互いの距離が近く、お互いのお節介を焼く。自分がどう思うか感じるかより世間がどう思うか――これが判断基準となっていたのです。
たとえば、穏やかなやました家でも時にケンカをして声を荒らげることがありますが、そんなとき「きっと隣の人が聞いていたに違いない」とそちらばかりを気にします。どんな意見の齟齬(そご)があってケンカになったのかという考察はすっ飛ばして。
また、近所の「おえらいさん」に対して、「あの人はホントにイヤだ」と陰口を叩いているのにもかかわらず、「おえらいさん」に会うと満面の笑顔で会話している。そんな二面性にも驚かされました。
夫婦茶碗の衝撃。モノからその人の価値観が見える

東京の核家族で育ち、4年制大学を卒業した私の価値観と、戦前からこの町に住み、ここでいかに生きていくかを模索する価値観は全く違います。
こんな象徴的なエピソードがありました。あるとき、姑が「デコちゃん、湯飲みを新しくしよう。湯飲みを買ってきて」と言います。私がなかなか出掛けられずにいると、せっかちな姑は自分で買いに行きました。
姑が買ってきた湯飲み茶碗を見て、私は仰天。なんと湯飲みは女同士、男同士のお揃いだったのです。つまり姑と私のセットと舅と夫のセット。私なら舅と姑のセット、夫と私のセットにしたはずです。夫婦茶碗ですからね。つまり姑は家単位で物事を考えており、対して私は個という夫婦単位で考えているのです。
まだ20代の頃の話ですが、「モノから価値観が見える」ことをあらゆる場面から無意識に感じとっていました。どういうモノを選び、どういうモノを選ばないか。どういうモノを捨て、そういうモノを残すか。その人の価値観、考え方がモノにすべて表れるのです。
「ダメ」で二重否定するのはなぜ?言語空間が人を育てる

価値観の違いが見えてくるのは、モノからだけではありません。普段、何気なく使っている言葉、口癖からも価値観の違いは見えてきます。そして、私にはその違いが看過できなかったのです。
結婚して気になったことはいろいろありますが、その一つに、言葉の端々に「ダメ」を多用することがありました。たとえば、「勉強したほうがいいよ」と言うところ、「勉強しないとダメだぞ」と言います。「〇〇しないとダメ」と二重否定を使うのです。舅も姑に向かって、「テレビの健康番組でシイタケがいいと聞いたけど、シイタケを食べないとダメだぞ」などと言っています。
こうした言葉が家の中だけでなく地域社会で頻繁に飛び交っています。なぜみんな「ダメ、ダメ」と言うのかと、いつも引っかかっていました。
私は母に「ダメ」と言われて育ちました。小さい頃から「デコはどうせダメだから」と口癖のように言われ、「ダメ」という残念な響きに敏感になっていたのです。母に他意はないのですが、こうして「ダメ」と言われることは不快であり心細くもなります。こうして自己肯定感を持てないまま、大人になったのです。
言葉遣いは疎かにできません。人に何かを勧めたいのであれば、「ダメ」という言葉を使って勧める必要はないはず。断捨離では「居住空間」という環境を大事にしていますが、「言語空間」の影響も非常に大きいと感じます。
ですから、断捨離セミナーでは「二重否定をやめよう」とみなさんに伝えています。「ダメ」を使わずに表現できるなら、言い換えましょう、と。
そんなわけで、新婚当初から、まわりの人が二重否定を使うたびに、私はその場でさりげなく指摘し、「言い換え」をしてきました。指摘された人はまるでピンとこないようです。何十年という長い年月もの間、この言葉を無意識に使ってきて、すっかり体に浸透していますからね。そしてわが子に対しても絶対に二重否定を使うまいと私は心に決めたのです。
写真:松田咲香
※本記事は、書籍『モノが減ると不安も減る 実家の断捨離』より一部抜粋して構成しています。
次回の記事では、我慢も別居も自分次第!やましたひでこ流「親離れ」と断捨離の誕生を紹介していきます。
■「モノが減ると不安も減る、実家の断捨離」をもっと読む■
#1:義実家の「断捨離」!やましたひでこさんの葛藤
#2:我慢も別居も自分次第!「親離れ」と断捨離の誕生
#3:親のタイプを見極める!「生前整理」5つのコツ
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