初心者の方必見!面白くて読みたくなる文章を作る方法
エッセイの書き方とポイント・面白い文章にするコツ
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なるほど! エッセイと日記は違うものなんですね。混同してました。
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大人にナ(成)五段活用 ① 【大人に成らない】 【大人に成ろう】 ② 【大人に成ります】 【大人成った】 ③ 【大人に成る】 ④ 【大人に成るとき】 ⑤ 【大人に成れば】 ⑥ 【大人に成れ】 私と他者との心の対応において、六態様がある。私をAとし、観察者をBとして観察者の子供の頃(過去)の私に対する印象と齢を経てからの両者の会話を挙げみる。 B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成ろう】としたかい。」 A 「【大人に成ろう】としたかったが、【大人に成らない】ことにしているよ。」 ①の用例は、両者の事案に対する心の意識が相違している場合である。 B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成ります】って言ってくれたがどうかい。」 A 「B君の言うように、その事はその通りだしその事に関して【大人成った】よ。」 ②の用例は、両者の事案に対する心の意識が合致している場合である。 B 「A君は、立派な【大人に成る】と見込んでいたがどうかなぁ。」 A 「B君そらそうだ、あれからそれ相当の時間が経過しているから立派かは別にして、【大人に成る】って当たり前だよ。」 ③の用例は、両者の時間の経過に対する共通の認識を確認した場合である。 B 「A君、【大人に成るとき】は子供の頃と違って人それぞれの心情の襞が違って現れるが一番の襞は何かね。」 A 「B君、一番の襞は万人に共通する心だよ。」 ④の用例は、人それぞれの環境等による人間形成の結果の問いの場合である。 B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成れば】分かってくれると思っていたがどうかね。」 A 「【大人に成れば】って言ったって、私の心情の一番の襞で理解すると、【大人に成れば】って言われても難しいよ。」 ⑤の用例は、人それぞれの心情の襞で照らし合わせると相違している場合である。 B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成れ】と言ったがどうかね。」 A 「【大人に成れ】と言われそうかと思ったが、心情の襞で照らし合わせると相違しているよ。」 ⑥の用例は、人それぞれの心情の襞では、両者同じ心情を共有できない場合である。 万人に共通する心(心情の襞)とは、これをメタ数学として【身体化された心】から『大人にナ』を見てみる。 フランシスコ・ヴァレラ+エヴァン・トンプソン+エレノア・ロッシュ著田中靖夫訳の【身体化された心仏教思想からのエナクティブ・アプローチ】にマルティン・ハイデガーの「存在の問い」の【惑星思考】がある。 水無田気流さんが、ハイデガーの「先駆的決意性」で死生観を西欧思想は肉食系死生観、東洋思想は草食系死生観と述べておられる。 京都学派の思想に傾注する佐伯啓思先生もコラム「西洋と異なる思想 今こそ」で「日本で唯一の哲学者」と称される西田幾多郎は、西洋の論理を【有の論理】日本の論理を【無の論理】と呼んだりもしたと記している。同じ土壌の中で西谷啓冶は、ハイデガーの「存在の問い」の【惑星思考】の呼びかけに精通した。そのサワリを記すと、「・・・主体は客体化される主体と主体化される客体のいずれにもなる。」とある。 『大人にナ』のA君とB君の会話におけるA君の心情の襞をメタ数学の基底として西洋思想と東洋思想の融合としての【惑星思考】で探る。 物事をありのままに見るこれを自然主義としよう。A君がありのままに見えた事を言葉でB君に表象してみても、A君とB君の生を受けてからの環境(氏より育ち)に支配されたそれぞれの言葉の表象は違うのである。 しかし、数学の言語での表象は、万人に共通する心でなければならない。だから、『大人にナ』の事案で掲げた①⑤⑥についての内容が、数学の言語で表象されるなら解決するはずである。④については微妙(判断し難い)である。 新井紀子先生は、数式は、「宇宙人にも分かるように」と言われる。 森田真生氏は、「数学の演奏会」等精力的にライブ活動でしばしば自然数の表象を【身体化された心】で捉えようとされている。 人は、この自然数の一次元としての離散的な物理的集合の序数としての123・・・との視覚から【身体化された心】で表象の記号として認知(ラベル化)する。 このラベル化された数字を【身体化された心】の万人に共通する価値の順序としての表象に用いるとする。これを一次元の数とする。 二次元の数として物理量の面積を数で表象できる。 三次元の数の価値として、一次元の数と二次元の数の乗積として表象できる。 そこで、有限個の一次元の集合の表象された自然数の人の思考した大小(価値)比較の一次元の要素の組み合わせと三次元の要素の組み合わせの思考結果としての三次元の大小(価値)比較を数学は、『量化素子』で真理を明示しうるのだ。これは、二次元の数の減少を【身体化された心】として捉える事だったのだ。 そのエナクティブ・アプローチからの創発は、一・二・三次元の数のそれぞれの次元の数の組み合わせが『離散的有限個の有理数の多変数創発関数論』を醸成していたのだ。 チョット昔の風景を再現する。レオポルド・インフェルト著市井三郎訳の「ガロアの生涯神々の愛でし人」の一八三一年一月一三日の一九歳のエヴァリスト・ガロアの講義の聞き手(A)の呟きを記す。 「・・・数学は、われわれの感覚印象の世界に訴えることのない唯一のものであります。」 数学は、惑星思考の【身体化された心】から探れるのじゃないの? 「数学の研究が、知識というよりは真理の探究を目指している・・・」 数学は、【身体化された心】のオエセル(光明)かも知れない? 「・・・一挙にすべての数学的真理を認識しうる人がいるとすれば、その人はわずかの原理と均一な方法とから、それらのあらゆる真理を厳密に機械的に演繹できるでしょう。」 数学は、【身体化された心】のオエセル(光明)から『離散的有限個の有理数の多変数創発関数論』から群を知らしめているのではないか? 鷲田清一先生の「折々のことば」の拾いに、マックス・ピカートの言葉の 「非連続の世界においては、精神は存在しえない」 を眼にし、つくづく数学は、ミステリーだなー・・・と。 何故なら、非連続の世界を【身体化された心】で捉えると連続の世界が顕現してくる、これ即ち精神の世界への突入ではないか。数学は、精神に生きる生き物だと。 また、数の世界では、一次元の数と二次元の数の解析接続を【身体化された心】からの【惑星思考】により正比例と反比例を量化すると・・・。このことから創発関数論の孵化係数は、一次元の数と二次元の数をアーベル群化する幾何学的創発係数とおぼしき【e‐2】を確かめることができる。 マックス・ピカートのこのソースは、「われわれ自身のなかのヒトラー」で「連関性を欠いた人間」に連続性がない。なるほど ゝ 健全な「精神は存在しえない」って言うことなのですね。 離散的有限個の有理数の多変数創発関数論に出くわしたことは いろはかるたに 「犬も歩けば棒に当る」 人生こんなもんっていう コッチャ ヽ ・・・と。 しかし、いろは歌に込められた呪文は裁かれねばならない。 合掌
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