ハルメク編集部が見た、日野原重明先生~後編~

日野原先生と月に一度、10年間の差し向かいの30分

雑誌「ハルメク」
2018/08/01 3

2017年7月18日に亡くなられた日野原重明(ひのはら・しげあき)先生。2000年から毎月途切れることなく連載「生きかた上手」を続けてくださいました。10年近く先生の担当をしてきた編集部員が見て感じた「日野原先生」をお伝えします。

日野原重明先生
【目次】
  1. 日野原重明先生の、真夏の日の訃報
  2. 日野原伝説は本当か?
  3. アリストテレスとドライヤー
  4. 「最期のイメージは水底に沈む感じ」

日野原重明先生の、真夏の日の訃報

日野原重明先生が亡くなったことを知ったのは、2017年7月18日火曜日の朝、自叙伝『僕は頑固な子どもだった』(ハルメク刊)を一緒に作ったライターの方からの電話だった。慌ててスマートフォンでニュースサイトを確認するとトップ記事で先生の訃報が取り上げられていた。ハルメク9月号の原稿の校正をファクスでいただいたのがつい4日前なのに。

呆然としている暇はなかった。急遽、追悼のページを作り、新聞社やテレビ局、書店からの問い合わせに編集部全体で全速力で対応しなければならなかった。

そんな中テレビのニュースで、先生が3月に入院された後、胃ろうを断り自宅療養を望まれたということを知った。確かに、と思う。5月25日にご自宅に伺ったとき、お土産のもなかを「僕も」とひと口召し上がっていたし、次男の妻・眞紀(まき)さんが「パパ(先生のこと)が『おにぎりが食べたい』と言うので、やわらかいご飯を丸くして出したら、『こういうのじゃなくて、新幹線で食べるような海苔がパリパリのおにぎりが食べたいんです!』って怒るのよ」と笑いながらこぼしておられたから。先生の生きるエネルギーを感じて、またお目にかかれるに違いないと思っていた矢先の訃報だった。

夏がお好きで、暑いときほど元気いっぱいになられる先生だったので、太陽が輝く夏の日に亡くなられたのは不思議とも言えるし「やっぱり」とも思える。7月29日に営まれた葬儀も晴天だった。

90歳を迎えた2001年頃の日野原先生。
「つい自分は65歳だと思ってしまうんですよ」と笑顔で話す。(撮影=編集部)

日野原伝説は本当か?

聖路加国際病院のトイスラーハウスで読書の効用やアメリカ大統領選について伺う。2016年11月2日撮影


私が日野原先生に初めて正式にお会いしたのは、04年11月。「僕の手はあたたかいでしょう」と言いながら握手をしてくれた。先生は初対面の相手には、そういう独特のひと言を添えてあいさつをなさる。なんて気さくで紳士的な93歳だろう、と30歳そこそこの私は思ったものだ。

最初の数か月は、私の顔と名前は、先生の中で一致していなかったと思う。当時の先生のスケジュールは、文字通り分単位で動いており、ひっきりなしに誰かと応対しておられたから。

取材時間が取れないときには、先生専用の車の中でお話を伺うこともたびたびだった。渋滞の高速道路を、先生の車は縫うようにハイスピードで進む。車に酔いやすい私は、15分も乗っていると真っ青になってしまうのだが、隣に座っている先生は「僕は負けず嫌いだからね、彼(運転手さん)の運転は気持ちがいいんだよ」とうれしそうにしている。そして車内でも平気で仕事をされる。車の中は書類でいっぱい。ひざの上に専用の台をのせて、そこで書き物もする。

車だけでなく、交通機関はすべて先生にとっては書斎だった。アメリカまでのフライトでもずっと仕事をしているので、「僕にジェットラグ(時差ぼけ)は関係ないよ」とおっしゃっていたものだ。

よく先生はインタビューで、「エスカレーターを使わず階段を駆け上がるのが健康の秘訣」と話していたが、これは本当。出張時には東京駅の階段を、書類の入ったかばんや資料を詰め込んだ紙袋を両手に提げて駆け上がってゆかれるので、追いかけるのが一苦労だった。

睡眠時間が短いことでも有名で、100歳近くなっても原稿の締め切り前など徹夜することがままあったと話されていたものだが、これも本当。徹夜明けのときの方が、取材のテンションが高くて快調に進んだ。……ただし先生は居眠り上手でもいらした。打ち合わせの最中に静かになったので熟考されているのかと思ったら、うたた寝されていた。でも意識も動いているらしく、しばらくするとさりげなく目を覚まし、打ち合わせの流れに自然についてこられるのだった。

お昼ごはんが牛乳とクッキーだけ、という話も有名。これも本当だが、先にも述べたように先生は食べることがお好きだった。以前、SMAPがゲストに手料理をご馳走するあの番組に出演されたときも、2組が出す料理をすべてペロリと平らげ、メンバーやスタッフが「あんなに食べて大丈夫だろうか」と心配する中で、涼しげに「おいしかったですよ」とおっしゃった。でもご自分が太りやすい体質であることを自覚されていたから、朝やお昼は少食にすると公言なさっていたのだと思う。やり遂げにくいことでも、「やります」と公言しておくと義務感や使命感が湧いてくるので、実行しやすいものですよ、と常々おっしゃっていた。

 

先々の予定を書くことが人生の指針を定めやすくするとおっしゃっていた。
2021年にはアメリカ旅行の予定も。2011年11月1日撮影

アリストテレスとドライヤー

「日野原先生はどんな方ですか」と聞かれると答えに困る。実に多面的な方だった。医師でありクリスチャンであり、長寿の人でもある。徹底した平和主義者でありアーティストでもある。日本の医療について語るときの先生は医師としての自信に満ち、眼光も鋭くなり、非常にかっこいい。さすがプロフェッショナルだ。「中高年の星」として講演会などで話す先生はチャーミングでユーモアたっぷり、周囲にエネルギーを振りまいていた。

だが私が大好きだったのは、国際病院のトイスラーハウスの応接セットに座って哲学を語る先生だった。

初めて取材をする前に、先生の著書を読んでおかなくてはと何冊か目を通した。そのとき驚いたのはソクラテスやプラトン、さらにはカントやフランクルといった哲学者・思想家などの引用文があちこちにちりばめられていたことだ。

正直、哲学などというものは実生活とは無縁のもので、インテリ向けの学問にすぎないと思っていた。しかし先生は、クッキーと牛乳の昼食をとりながら「嫌なことがあると『しょうがないな』ってあきらめてしまうでしょ。でもね、自分の運命は、自分でつくっていけるんです。ベルクソンもそう言ってます」とさらりとおっしゃる。

「岡島さん、哲学が難しいと思ってるでしょう? 違うんですよ。哲学はね、どうしたらよく生きてゆけるかを考える学問なの。だから哲学書には、毎日がより生きやすくなるような言葉がたくさん書かれているんですよ」

目が覚める、とはこのことだと思う。「そうか、哲学って役に立つんだ」

私があんまり喜んだので、先生は1年かけて古今東西の哲学者・思想家の講義をしてくださった。それは06年から07年の連載「生きかた上手」に反映された。

では先生から教えていただいた、数々の哲学者の言葉は私の中でどのように生きているか——私は片づけることが苦手なのだが、「人生は習慣の積み重ねだとアリストテレスが言った」という話を伺ったその日から、ドライヤーだけは決まった引き出しに戻すことができるようになった。同じ頃に新調したドライヤーだった。今でも引き出しにしまわれたドライヤーを見ると、先生とアリストテレスを思い出し、こうしてドライヤーをきちんと引き出しにしまっている限り、自分は大丈夫、ちゃんと生きている、と思う。

先生のような生きかたはできないにしても、先生が教えてくださった「誰かと話すときには声を高くすること」や「求めるのではなく、与えることから始めてください」といった、よりよく生きるための小さなわざを日々実行することが、先生が終生望まれた「平和」を実現することにつながるのだろう。

 

ご自宅の別棟2階が書斎。4重のスライド式書棚には書類がびっしり。
著者別、テーマ別にファイリングされていた。2011年11月15日撮影

「最期のイメージは水底に沈む感じ」

09年の夏、産休育休を取るために担当を降りることになった。「きっと先生は一編集者のことなど忘れてしまわれるだろう」と思ったものだが、娘が生まれたことをはがきでお知らせしたところ、自筆の返信が届いたのだ。先生の思いやりの深さが身に染みて感じられた。

13年から再び担当として復帰させていただいた。久しぶりにお会いした先生からは、少し老いを感じた——102歳なのだから当たり前なのだが。翌年、イギリス出張から帰った先生は、心臓に大動脈弁狭窄症が見つかり、外出や出張には車いすを使われるようになった。頭脳はいつでも明晰で、こちらの質問には的確に答え、時にテーマが甘いとビシビシと突っ込んでくださったが、徐々に公の仕事から退いていかれるのがわかった。取材の場所に指定されるのが、聖路加国際病院ではなくご自宅になることが増えた。最後の数回は、先生のご負担になっているのではないかと心配で、ご家族や秘書の方々に、このまま連載を続けてもいいのか相談したことがある。取材がある方が先生がいきいきと元気になられる、と伺い、せめて明るい色の服を着て明るい声でインタビューをしようと決めた。「ああ、今日の君は赤い色でいいねえ」とおっしゃっていただいたときには、思わず涙が出そうになった。

 

長い間担当をしていた中で、失礼にも、先生がご自身の最期についてどう考えていらっしゃるのか伺ったことが数回ある。そんなときの先生の回答は詩的で哲学的なのだが、中でも印象的だったのは、「魂が昇天してゆくイメージと同時に、肉体は地球へと還っていくような意識を持つと思うんです。ドビュッシーの音楽に合わせて静かな水底に沈んでいくイメージです」というものだった。楽しそうな表情でさらに続けておっしゃった。「命が消えるというその瞬間、どのようなことを全身の感覚で受け止めるのか、わくわくします」と。

最後にお目にかかったときにも、先生は正岡子規の『病牀六尺』を手にし「子規が書かなかったことを、私が体験するんですよ」とおっしゃった。ああ、先生は本当にブレがない、芯が通っておられた。先生、実際のところ、最期の瞬間はいかがでしたか? と伺ってみたい気持ちで今いっぱいである。

 

ご自宅に伺った最後の日「一緒に写真を撮りましょう」と先生。ツーショットで撮ったのは初めてだった。2017年5月25日撮影



構成・文=岡島文乃(ハルメク編集部)撮影=中西裕人

※この記事は、「ハルメク」2017年10月号に掲載された『月に一度、10年間の差し向かいの30分』を再編集し、掲載しています。

 

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