女性の胸と半世紀、向き合い続けた

伊勢丹初のランジェリーコンシェルジュ 松原満恵さん

雑誌「ハルメク」
2018/07/31 9

「ファッションの伊勢丹」として知られる老舗の百貨店、伊勢丹新宿店。そこで松原満恵さんは販売員、そしてランジェリーコンシェルジュとして70歳まで在籍。肌着の歴史とともに歩んできました。

(撮影=キッチンミノル、以下同)
【目次】
  1. ランジェリーコンシェルジュ 松原満恵さん
  2. 夫との出会いが、仕事人生を決めた
  3. これからの人生、洋服より肌着にお金を使いたい

ランジェリーコンシェルジュ 松原満恵さん

松原さんが伊勢丹を退職したのは2年前。でも、婦人肌着コーナー「マ・ランジェリー」を訪れると販売員が入れ替わり立ち替わり声を掛けてゆきます。

みなさん「彼女は肌着界の伝説ですよ」と言います。松原さんのフィッティングを受けた女性の多くは、これまでとは全然違うブラジャーの着け心地に感動するそう。お客さまの要望に応えつつ、着け心地抜群の肌着を選び出し、満足していただく――それが松原さんのランジェリーコンシェルジュという仕事でした。「何しろ肌着に関わって50年近いんですものね」と苦笑する松原さん。

 

タグがついたままのトリンプのブラ。ラ・ペルラやコットンクラブなどの輸入ものも。ご自宅で。

 

松原さんが伊勢丹に就職したのは1963年。翌年には東京オリンピックを控えており、日本は高度成長の波に乗り始めた時代でした。また洋装下着も新しい素材がどんどん生み出され、成長期を迎えます。

「日本全体が伸び盛りでいい時代でした。しかも伊勢丹という会社は若い社員に働きがいを感じさせてくれる会社だったのね。十分に休みをもらえ、仕事仲間と映画を見たり旅行をしたり、たくさん遊びました。一方でお客さまとのやりとりや、お取組先との折衝など学ぶことがたくさん。とにかく仕事が楽しくて仕方ありませんでした」

後輩たちと

常に販売の第一線に立っていた松原さんは、日本の肌着の歴史を目の当たりにしています。

60年代はまだ肌着は「隠すもの」。70年代ごろからおしゃれの一部としてステータスを確立し、「下着は白」という常識を破って、ベージュが下着のベースカラーとして主流となり、また背中をすっきりと見せるフロントホック・ブラがヒットしました。

80年代にはカラー化が花開き、そして90年代に一世を風靡したのが「寄せて、上げる」ブラ。これは現在も日本のブラの本流だと、松原さんは話します。

「欧米人は、胴が筒のように丸く、日本人は扁平型。洋服は、欧米文化から生まれたものですから、日本人が美しく着こなすには、まず体型を整えなければ、という考え方なんですね」

こうした機能性では、日本のメーカーは非常に優れていると松原さん。脇に流れる〝はみ肉〟を逃さない工夫、より胸を上げて谷間を深める工夫……。「でも苦しいのよ。外出から戻ったらすぐ、ブラのホックを外したくなりませんか?」

そう言って松原さんは、自宅のテーブルにブラを並べました。それらはほとんどが輸入物で、がっちりと胸の形を作るというよりも、胸の上にふわりとのりそうな軽やかなもの。「外国製のブラはラクなのが多い。そして優雅。エレガントなものを内側に着けているという心意気が、その人を美しく見せるんですよ」

日本人は機能性を重視し過ぎるのかもしれない、と松原さん。洗いやすさや着脱のしやすさ、そして楽かどうかということ。確かに最近は、着心地が楽で手入れもしやすいカップ付きインナーが年齢を問わず大人気です。「あの商品はよくできています。でも肌着を選ぶ理由が機能性の一点張りだとつまらない気がする。毎日おんなじ胸。そういうバサバサしたおばあさんは美しくないと思うのよ」

夫との出会いが、仕事人生を決めた

夫とは21歳のとき、北海道を旅行している最中に出会ったそうです。付かず離れずの友人のような関係が長い間続き、結婚したのは32歳。その数年前に松原さんは伊勢丹新宿店から、オープンしたばかりの千葉の松戸店に異動していました。

「不夜城のような新宿を謳歌した後だから、松戸の真っ暗な夜がそれは寂しくて。もう結婚して仕事を辞めたいって彼に言いました。そしたら『結婚はいいけど、仕事は辞めない方がいいね』って」

海外出張の多かった夫は、自分が不在の間、松原さんが家庭にぽつんといるより働いている方が安心できると言ったそうです。結婚後、松原さんは昇格試験を受けてマネージャーの資格を得ます。上司に言われた二つの言葉がきっかけでした。一つは「会社は君にこれ以上のやりがいを与えられない」。もう一つは「君の立場を後輩に譲らないといけない」。

「当時の私はアシスタントセールスマネージャー。仕事は忙しいけれど、いざとなればマネージャーに頼れるし、楽しかった。こんないい立場、確かに独占し続けてはいけない、と目が覚めました」

マネージャーとしての初仕事は、伊勢丹新宿店の肌着売り場。当時、一日の客数だけでも松戸店の約10倍という激務の上、36歳という若さ。初めて現場で朝礼を執り行ったとき、様子を見に来た部長に「お前、なんだそのあいさつは!」と怒鳴りつけられたそうです。「部下の手前、どうしようって思ったけど『気を取り直してまいりましょう』と言ったの。部長は苦笑してましたね」

伊勢丹新宿店で4年間修業し、浦和店のマネージャーに。バブル全盛期で最高に楽しかったと振り返ります。ところが52歳のとき夫が急死。

「彼が生きていたら、もっと早く退職したかもしれないし、子どもを授かっていれば違う働き方をしたかもしれない。でも一人になったから、働き続けることで救われたんです」

夫が亡くなってまもなく、再び伊勢丹新宿店へ。初の「ランジェリーコンシェルジュ」に抜擢され、新宿店の肌着コーナーの顔として70歳まで在籍します。

ランジェリーコンシェルジュ当初の頃。「お客さまからたくさん学ばせていただいた時期です」

これからの人生、洋服より肌着にお金を使いたい

退職後、松原さんを悩ませたのは怪我。腕を骨折したり五十肩になったり。

「これまでお客さまに『胸を張りなさいね』とアドバイスしてきたけど、自分自身、あちこち痛くて苦しくて、もう胸なんて張れないし、きれいでいたいという気持ちも萎えてくる。でも、そういうとき『そうだ、真っ赤なブラを着けよう』って思うと、気持ちが上がるんです」

やさしい気分でいたいときには白やベージュ、今日は気合を入れて外出しよう! というときは黒や赤といったビビッドな色。楽ちんでいたいからカップ付きインナーという日があってもいいけれど、白、ベージュ、黒、そして赤の4色を持っていれば、一日一日、自分の気分を演出できると言います。

「この年齢になると、洋服よりも、いい肌着にお金を使いたい。自分自身の心地よさが一番大事だから。夫もいないし、仕事も辞めて、誰も見てやしないだろうけれど、だからこそ自分が楽しくなれる肌着を身に着けて、自分で自分の気持ちを上げなくちゃ。肌着が、自分にフィットしているかどうかは、サイズが決めるんじゃない。自分自身の感覚が決めること。素肌の胸の上にじかに着けるからこそ、本当にフィットしていたら心から幸せな気持ちになれるんじゃないかしら。そういう楽しみ方は死ぬまで捨てたくないわね。いい女のまま年を取りたいの」

今は肌着を楽しむための本を準備中。松原さんの次のステージが始まります。

 

松原さんの1日は亡き夫にお参りすることから始まります

 




伊勢丹新宿店

〒160-0022 東京都新宿区新宿3-14-1
不定休
営業時間 
午前10時30分~午後8時
03-3352-1111(大代表)




まつばら・みつえ
1945(昭和20)年東京生まれ。63年、18歳で伊勢丹に入社。伊勢丹新宿店、伊勢丹松戸店を経て36歳で伊勢丹新宿店の肌着売り場のマネージャーに。伊勢丹浦和店へ異動後、伊勢丹新宿店に戻り2度目のマネージャー、そして初のランジェリーコンシェルジュに。2年前に退職。

取材・文=岡島文乃(ハルメク編集部)撮影=キッチンミノル


※この記事は、「ハルメク」2017年4月号に掲載された『知恵あるひとを訪ねて 松原満恵さん』を再編集し、掲載しています。

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創刊22年目、50代以上の女性誌売り上げNo.1の生活実用情報誌。前向きに明るく生きるために、本当に価値がある情報をお届けします。健康、料理、おしゃれ、お金、著名人のインタビューなど、幅広い情報が満載。年間定期購読誌で自宅に直接配送します。https://magazine.halmek.co.jp/

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