2019/06/18 1

日本のお札に描かれた人物とは?思想家・実業家編

日本の紙幣に取り上げられてきたのはどんな人たち?(1)

 

4月に今の紙幣が替わることが発表されましたね! お札が替わるのは2024年ということで、あと5年で使い慣れたお札と別れるのはちょっぴり寂しいような気もしますが、新しいお札が楽しみでもあります。

 

ちなみに、2024年からのお札は、1000円札が北里柴三郎、5000円札が津田梅子、1万円札が渋沢栄一になるのだそう! 歴史の教科書で一度は見たことのある偉人ばかりですが、具体的にどんなことをしてきた人なのかしら?

 

新しいお札に取り上げられる人について調べてみると、だんだんとこれまでのお札の顔になった人物についても興味が湧いてきました。

 

今日からは3回に渡って、お札の顔に選ばれてきた偉人についてワタシが調べたことをご紹介します!

 

初回は新たに1万円札の顔となる渋沢栄一、前5000円札の新渡戸稲造、現1万円札の福沢諭吉をピックアップ。

 

まずは渋沢栄一について。渋沢栄一は1840年に埼玉の農家に生まれました。その後、一橋慶喜(のちの15代将軍徳川慶喜)に仕えたんですって!

 

明治維新の後、明治政府に招かれ大蔵省に入省、財務政策で手腕を発揮し、日本の近代化に尽力します。大蔵省を辞めたあとは、第一国立銀行(現みずほ銀行)の総監役となり、最後には頭取になったのだそう。第一国立銀行だけでなく、東京瓦斯(ガス)、東京海上、東京証券取引所など、現在も続く名だたる企業の設立に参画、その数はなんと500以上! 「日本の資本主義の父」と呼ばれています。それだけの人物だから、日本銀行が発行するお札の肖像画に選ばれるのもうなずけますよね。

 

続いては新渡戸稲造について。学校法人新渡戸文化学園のホームページによれば、新渡戸稲造は1862年に盛岡で生まれました。

 

帝国大学(現・東京大学)を卒業しアメリカやドイツに留学した新渡戸稲造は、ベストセラーとなる『武士道』を執筆します。さらにその後母校の教授や東京女子大学の初代学長などを歴任したのち、国際連盟の事務局次長に就任し、紛争の解決に尽力したり、ユネスコの前身である「国際知的協力委員会」を創設するなどしたのだそうです!

 

最後は福沢諭吉について。福沢諭吉は1835年に大阪で生まれました。ただし福沢諭吉の父親は中津藩の藩士であり、父が亡くなったあとは中津(今の大分県)に戻ったようです。

 

その後は大阪で蘭学を学び、1860年から1867年にかけて遣欧米使節に3度参加しました。そのときの経験を『西洋事情』などの著作にまとめ日本中に西洋文化を紹介しました。また1868年には慶應義塾を設立、1872年には『学問のすすめ』を発表しました。居合の達人でもありました。

 

ちなみに渋沢栄一と福沢諭吉は共に将棋が強かったそうで、対戦したこともあるとか。結果は渋沢栄一の勝利だったそうです。のちに1万円札の顔になる人物同士の交流があったんですね。

 

次回以降も引き続きお札に取り上げられてきた偉人について調べた結果をお伝えします!

 

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参照:渋沢栄一記念財団

   渋沢栄一デジタルミュージアム

   学校法人新渡戸文化学園

   国立国会図書館

 

これからは1万円札のこと「諭吉」じゃなくて「栄一」って呼ばなきゃ!
紙幣が変わったら1万円札のこと「諭吉」じゃなくて「栄一」って呼ばなきゃ!

 

イラスト:飛田冬子

 


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