あれもやりたい、これもやりたい!

思い出深い海外旅行の数々

公開日:2018.10.06

更新日:2018.10.11

80代に入ってからも趣味・仕事に奔走する日々。アクティブになったのは、アメリカ旅行で性格が様変わりしたことがきかっけでした。海外への夢はますます膨らみ、ざまざまな国へ。過去の海外旅行を振り返ります。

ポーランドへ

思いがけない「奥様使節」として人生初の海外旅行をしてから、海外への夢はますます膨らみました。次のチャンスは18年後の1994年秋、ポーランド クラクフの「日本美術技術センター・マンガ館(現:日本美術技術博物館“マンガ”館)」開館に合わせ、「奥様使節の会」で計画された旅でした。

親日家だったアンジェイ・ワイダ映画監督の多大な貢献もあり、建築家・磯崎新氏が設計されました。時のワレサ大統領出席の開館式典に参加し、ご臨席の高円宮様ご夫妻と、クラクフで眠っていた浮世絵1万点の一部などを鑑賞しました。

ポーランドの古都・中世の面影を残すクラクフは、戦争で無残に破壊されましたが、残されていた資料に基づいて忠実に修復されたのです。

アウシュビッツの見学は特に印象に残っています。あの忌まわしいナチスの残虐さ、山ほどの遺髪や靴、ガス室等々は眼を覆いたくなるような悲惨なものばかりでした。「二度と戦争をしてはいけない!」と思いましたが、今も世界のどこかで絶えないのは悲しいです。

ワルシャワ郊外に再現されたショパンの生家へも足を運びました。実際に使ったピアノや直筆の楽譜や写真の博物館となり、美しい庭にまでメロディーが流れてくるようでした。不定期に演奏会が行われているそうです。

ポーランドの復興はまだまだでしたが、夜は寒いので毛皮を着て音楽会に出かける人々の姿は印象に残りました。私たちもオペラを鑑賞しました。

その後パリへ。クリスマスのイルミネーションの耀くシャンゼリゼ通りはネオンのなかったワルシャワとは雲泥の差がありました。ノートルダム寺院、オルセー美術館でゆっくりモネを眺めたのも忘れられません。

アウシュビッツの門の前で
アウシュビッツの門の前で。

その後も15回程の海外旅行へ

1996年、スーパーの歳末抽選でシンガポール・ケアンズの旅行が当りました。もともと友人とオーストラリア旅行でシドニーに行くことになっていたのですが、1998年の1月にオーストラリアへ立て続けに二度も。面白い経験でした。

オーストラリアにて
オーストラリアにて。

 

主人の生まれた上海へは2度、イタリア、ドイツ、スイス、フランスなどのヨーロッパや、オースリアの湖上舞台でオペラを見たのも貴重な経験でした。次男の転勤先のアメリカ、孫の希望に応じて次男一家とハワイ等々行きました。

ザウツブルグの城を背景に主人と
ザウツブルグの城を背景に主人と。

 

主人の両親を見送って、60歳で仕事をリタイアし、これから10年は海外旅行を楽しみたいと思っておりました。100歳と7か月で2014年に亡くなった実母との暮らしでそれもままならず、パスポートは2年残っていますが、もう海外は無理かな、と残念です。

2010年には初めて一人参加でスペイン南部の旅に出ました。

スペインでハプニング

カメラの電池と充電器を忘れ、一人でホテル前の量販店で買ってきました。旅の初日で仲間とは初対面でしたが、買ってきて夕食前に話したら、同じカメラだから貸してあげると言う方がいて、直ぐ量販店に返しに行きました。スペイン語はできません。拙い滅茶苦茶の英語でも必死だったせいか通じて、すぐに返金してくれたのには自分でもびっくりしました。

スペイン ゴルドバのメスキータの中で
スペイン ゴルドバのメスキータの中で。

まだ行きたい

スペイン北部も他の国々も行きたいと思っています。スペインから帰って来てから一か月後、97歳で元気でいた母が右大腿骨骨折。スペイン旅行の罰があたったのかしら? でも旅行中でなくて良かった! と。

2019年1月で90歳になる主人を置いては? 自分も皆について行けるか心配です。まだ行きたい! 2020年5月までパスポートが有効だ! と時々未練がましく思っていますが、15か国も海外旅行ができたのはありがたいと感謝しています。

みなさんも大いに羽ばたいてください! 好奇心をもって挑戦することは楽しいですよ。人生が豊かになります。

中井 淑子

東京で生まれ育ち、田舎のある方が羨ましいです。恥ずかしがり屋、赤面症の目立ちたくない女の子でした。しかしアメリカを訪れたことをきっかけに積極性が花開き、今も趣味や仕事に多忙な毎日。これからやってみたいこともたくさん。自分を変えた出来事や趣味のことを綴っていく予定です。

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