小さい頃からいつも本がそばに

初回から刺激的な読書会の始まり

公開日:2018.10.02

更新日:2018.11.05

幼少の頃から読書が大好きで、定期的に行っている読書会についてや、文学にちなんだ場所巡り、おすすめの本について紹介。今回は、本好きが集まった読書会スタートのエピソードです。

モッキングバード
        モッキングバード

あかね読書会の名前の由来

あかね読書会の「あかね」という名は、メンバーの藤原さんという方がつけてくださいました。

『茜さす 紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる』という万葉集の中の額田王(ぬかたのおおきみ)の歌の中から一字をいただいたのです。ここに言う「茜さす」は、古代に高貴な色とされてきた「紫」の枕詞として用いられているのですが、歌を詠じていると大海人皇子(おおあまのおうじ)と額田王の姿の見える蒲生の御料地の空が、あたかも茜色に染まっているかのような想いを抱いてしまう。

名前があまりにも立派すぎて気恥ずかしくもあるけれど、茜色に染まった空のように、読書会を続けることによって、私たちの心もいつか美しく染めあげることができればという願いを込めて、会の名前としました。

いよいよ読書会のスタート

ちょうど昭和55年度上半期の芥川賞が発表された時でした。受賞作品の「モッキングバードのいる町」を課題図書として初めて4人のメンバーが顔をあわせました。作品は、アメリカ中部の田舎町に住む、中年にさしかかった日本人妻の望郷の想いがテーマです。

 

『モッキングバードのいる町』 森禮子(著)新潮社
第82回(昭和54年度下半期) 芥川賞受賞

モッキングバードのいる町

はた目には幸せに見えるヒロイン圭子、恋人との仲がうまくいかなくなり日本に帰るスウ、「ジャップ」と息子にののしられてわが子を殺して7年の刑を受け、息子のお墓のあるこの地で暮らそうと帰ってきた順子。3人の日本人妻の生き方が描かれています。

私は圭子の生き方に共鳴する部分が多々ありました。境遇はとても違うけれど失われていく時間に対して持つ圭子のあせりの気持ちは、主婦としての年月を過ごしてきた私にも共通する心情がありました。今から40年近い前の作品ではあるが読み返して少しも古さを感じません。海と山と川にかこまれた故郷を捨てるように出てきた私には、圭子の望郷の想いが身に染みてわかりました。

『そう、夫はい、いつも正しい。その真面目さに惹かれて、私は結婚したと言える。他のアメリカ兵達のように浮ついたところがない彼の愛情は間違いないものに思えた。わたしは自分を不安定な危ない性格の女だと思っていたから、確かな安定したものが欲しかったのだ。だが結局、夫の正しさとは世間的な小心さやエゴイズムの自己欺瞞にすぎず』の1節にとても心惹かれました。

話し合いの中から

あかね1号の文集の中に「話し合いの中から」というページがある。その中から少し抜き書きしてみようと思います。

・私、海の好きなせいでしょうか、この作品を読んで1番心に残ったのは、「もう2度と海のそばで暮らすことはないのだろうかという…」という圭子の言葉でした。

・小説の初めのところですね。鏡にうつった中年の自分の顔を見て愕然として-、24年もアメリカ大陸で暮らしてきた自分の生活の空しさと、故郷に対する強い懐かしさがよく出ているわ。

・圭子、スウ、順子の3人の日本人妻、みんな若い時は美しかったのね、貧しい日本から夢を持ってアメリカにやってきたのでしょうけれど、スウは、夫にあきたらないで気違いのように若い恋人を追い求めているし、順子は我が子を殺し7年の受刑のあと独りでくらしている。

・圭子は表面的には破綻はないけれど、年と共にこの地になじめずに不安と孤独にさいなまれている。

・大陸の田舎町の単調さと、息苦しさがよく出ていますね。華氏120度の熱気なんて。

・モッキングバードはオウムのことなんでしょうか? でもオウムはこの地には生息しないと辞典に出ているよ。

 

初回とは思えない快い刺激に満たされた集まりでした。

お話はまだまだ続いています。その後の読書会の開催や、文集の編集などについてお話します。

久田かえこ

好きなことは読書。本は小さい頃からいつもわたしのそばにありました。引っ込み思案な点がありますが、裏を返せば奥ゆかしさにつながるのでしょうか。4人姉妹の長女で、和歌山の実家で母を見てくれていた一回り下の妹が60歳で他界、その時の寂しさを紛らわせてくれたのは数々の本とそれを通して出会った仲間たちです。

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