まさかの難病、母のがんばる姿、お餅……

悔しいことも多かった2019年。今年は自分に乾杯!

公開日:2020.01.08

更新日:2020.01.10

熊本地震など、つらいときに心の支えになった油絵の魅力を語る、スミレさん。大作の絵を描き進める中、持病の副鼻腔炎の手術をすることに。そして、発覚した難病……。悔しいことも多かった、2019年を振り返ります。

左の作品は 大ざっぱに描きはじめたレオタードの人。右は1週間後手を加え少しうつむき加減や画面上の配置、床の感じを変えた同じ作品。これからもどんどん変わります。未完の作品です。
左の作品は 大ざっぱに描きはじめたレオタードの人。右は1週間後手を加え少しうつむき加減や画面上の配置、床の感じを変えた同じ作品。これからもどんどん変わります。未完の作品です。

難病になりました

現在制作中の油絵「レオタードの人」「彫像のある風景」。ここまで進みました。

「彫像のある風景」

真冬だというのに、なんだか暖かく実感が湧きません。

最近、長年患っていた副鼻腔炎の手術をしました。診断では歯性副鼻腔炎か術後副鼻腔炎でしょうと言われて行った手術でした。

術後の検査結果がショックでした。鼻茸(はなたけ)の検体検査で好酸球性副鼻腔炎と判明しました。

やっと匂いがわかるようになってうれしかったけど、またすぐに再発する原因不明の難病だそうで思い切って手術したのにがっかりしています。

劇的に改善するどころの騒ぎではありません。原因不明では対処のしようがなく、うつうつと気分が重い日が続いております。最近この病気が増えてるそうで普通の人は手術後2か月で完治し、病院とおさらばします。

そうでない方は、すぐ再発する難病で「申請するなら書類書きます」と医師から事務的に説明がありました。しかも、何故かニヤニヤして。言われた本人はパニックで頭真っ白になってるのに。アレルギー性とチラッと聞こえました。

70代……人生残り少なくなったけど死ぬまで付き合って行くっきゃないのか。あー……また歯が浮き、歯茎に穴があき、青い液体(膿)が出て朝起きたときの重苦しい頭痛が再発するのか。つかの間で終わる鼻呼吸、体に悪い口呼吸に戻るのか。悲しいなぁ。

悔しいけど腹をくくるしか他に方法がないみたいです。普通に呼吸できるのは幸せなんですよ。

中学生で1度副鼻腔炎の手術しており、左は穴がふさがってるから炎症がなく右の鼻腔のために今回2度目の手術をしました。昔のことで、とても怖かった記憶しかなく今迄手術したくないので薬で治療してましたが何年も飲んだ薬の副作用か異常に喉が渇くので薬を止めました。頭痛が続くので酷い時は点滴したりしてごまかしてきました。

でもやっぱり治そう。こんな状態では大変なので。

セカンドオピニオンで他の病院に変わり何か月も予約待ちして手術することになったのです。「においがしなくなったら、また来てください」と言われ……「もう手術は嫌です」と私は医師に言いました。

生きていくのはつらいことの連続です。なかなかこの病気を受け入れられませんが耳鼻咽喉科医院とは縁が切れなくなってしまいました。あ~縁を切りたかったのになぁー。

ちなみにネットで調べると現在333種の指定難病があるようです。原因不明だから難病と言うんですよ……と医師は言いました。

忘れ物は何ですか

歌詞のようですね。

いつもバッグに入れていた化粧ポーチが、探しても出て来ずもう諦めて探すのを止めました。高い化粧品が入っていたので悔しいけど。

これからは無くしても惜しくない安い化粧品をコンビニで買い持ち歩くことに気持ちを変えました。落とすことを前提に考えて……情けないけど。まだ探し足りないけど。


もう一つ悔しいことがありました。

梅酒が熟成するのを待っていたのに、何故か瓶が割れ、台所の引出しは梅酒であふれています。すごい匂いです。割れたガラスが入ってるので泣く泣く梅ごと捨てることに。

いつもチェックしてればよかったなぁ……。もう飲めたのに、飲んだらよかったのに。後の祭りです。

小さなことですが残念でなりません。お正月に飲もうと楽しみにしてたんです。

母の見舞いで

母の見舞いに行きました。

96歳の母は最近人工関節置換術の手術をして今リハビリ中です。重りを付け足を上げたり、かかとのつま先のと車椅子の状態で身体を動かしています。100歳体操に似た動きです。

筋肉をつけると術後の関節周りの痛みが軽くなり、早く歩けるようになるそうです。「疲れたー」と母が言うと「もう少しですよ、ちょっと休憩したら歩きますよ」と看護師さんが歩行器を持たせ、再び歩く訓練です。

20mくらい歩きました。母さんがんばったね、えらいね。胸にこみ上げるものがありました。高齢の割には回復が速いと看護師さんがおっしゃってました。

2か月のリハビリで退院できるかもしれません。ただ今朝起きたとき頭を打ったから心配してCTを撮ったが異常はなかったと。

「そうですか、ありがとうございます」と私。

「多分トイレに行こうとしたんでしょうね」。よくあることのように看護師さんはおっしゃっています。

母は認知症です。手術したことも忘れてしまったでしょうか。

母は頑張ってるから、私も!

私はいまだに、母から教えを受けていることを、しみじみ感じました。そこで帰途コンビニで勇気を出し、店員さんにセブン銀行でのペイペイのチャージの仕方を聞きました。
以前から使いたかったんです。

できたことがうれしく忘れないよう続けてチャージしました(笑)。やっぱり還元されるとうれしい。得した気分です。もちろんコンビニで、早速買い物しました。
 

「忘年会」
私の住んでるところから1時間で海沿いにドライブすると天草の入口です。

「海が見たい」と言うメンバーさんがおり、体操のグループで忘年会代わりに三角西港に出掛けました。寒さ対策して行ったけどやはり寒くちょっと散歩した程度ですが、でもお魚は安くておいしく昼食で食べたお刺身は感動ものでした。

2015年世界文化遺産登録の3面石張り排水路
2015年世界文化遺産登録の3面石張り排水路
釣り人が多かった、明治期の姿を残す三角西港
釣り人が多かった、明治期の姿を残す三角西港
三角西港の建築物の中の展示物の華やかな衣装
三角西港の建築物の中の展示物の華やかな衣装

お餅の思い出

小さい頃、おじいちゃんが火鉢で焼いてくれた炭で真っ黒焦げのお餅、見た目は悪かったけどおいしかったです。

正月前になると、もち米を蒸し臼で突きます。力がいるので父親の仕事です。母親は間に水をふり、餅がくっつかないように。あん餅、塩餅、縁側に新聞紙を敷き、もちとり粉を撒いた上に並べます。

お餅が乾燥したら缶に入れて保存します。お腹が空いたときに焼いて食べてました。かき餅にしたりぜんざいにしたりしました。遠い懐かしい記憶です。

祖父も祖母も今はいません。そういえばカップヌードルが祖母は好きでした。祖父が亡くなってからですが。

近所の店まで歩いて買いに行ってました。カップヌードルはその当時は新しい食べ物でした。東京に祖母の次男が住んでおり汽車に乗って会いに行ってました。なかなかハイカラさんでした。いろいろ思い出し懐かしくうれしくなりました。


2020年を迎えました。

「おめでとう今日も生きてたね」

自分に乾杯しましょう!

今回もお読みいただきありがとうございました。

スミレ

高校の時に美術クラブに入り 油絵を始める。結婚し家庭に入り油絵はすっかり忘れて過ごしていたが、定年後に時間ができて絵を描きたいと思い、カルチャーセンターへ。だんだん面白くなり最近では展覧会に応募し、大作にも挑戦しています。

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