念願の旅が叶った!

インドに行ってきました

公開日:2019.10.07

更新日:2019.09.25

「死ぬまでにやっておきたい事にチャレンジしたい」と話すとし古さん。これまでイギリスや韓国への留学体験などを語ってきました。今回はインド旅行での思い出を語ります。

インド北部の3都市をめぐるツアー

あの頃は若かった! 二人はもう80代のはず
あの頃は若かった! 二人はもう80代のはず

もう数年前のことになりますが、インドへのツアーに参加しました。あの広大で、5000年の歴史を有するという国インド。マハトマ・ガンジー、ターバン、サリー、象、タージマハルなど、子どもの頃から、名前だけは聞き慣れた異国です。

学生の頃、日本を観光旅行していたインドの医師の姉妹と知り合ったのですが、それがインド人との初めての交流でした。それから数年文通していましたが、私の結婚・夫の転勤・転居などで、残念ながら途絶えてしまいました。

50年程前のそんなことを思い出しながら、歴史的に有名な建造物の多いデリー、アグラ、ジャイプールのインド北部の3都市をめぐるツアーに参加しました。

旅行したのは12月末でしたので、乾季の北部地方では日中は過ごしやすく、夜半は冷え込みが厳しく、まずは、「インドは暑い国」というイメージが打ち砕かれました。デリーではその厳しい夜を路上で過ごす人々が少なからずいるということにもびっくりしました。IT業界で世界をリードしているインドのイメージとの落差にも驚きました。

美しい建造物

美しい建造物

美しい建造物
タージマハル

私の参加したツアーは上海での乗り換えで、デリーに夕方遅く到着。翌日デリーで、早速、世界遺産の赤い城Red Fortとイスラム建築の精華と言われているフマーユーンHumayun廟を見学しました。

いずれも広い敷地に建つ荘厳な建築物でしたが、次のアグラで訪れたタージマハルTaj Mahalには、やはり、感嘆、の一言。精巧なデザインによる白い大理石の墓廟には多くの宝石が嵌め込まれ、その姿が映る水路までも付設されていて、建築素人の私でも世界一美しい建造物だと思えるほどでした。

大理石店
大理石店

墓廟の中に入るのに空港並みの手荷物検査がありました。白い建物を汚さないように、筆記用具やジュースの持ち込みは不可、また靴にはビニール袋を被せ、ヒール靴は脱いで素足で、という厳しいチェックがされていました。

ゴミひとつ落ちていないタージマハルは、雑然としたデリーやアグラの路地風景とは別世界でした。

昼食

ジャイプール

ジャイプール市内の果物屋の屋台
ジャイプール市内の果物屋の屋台
風の宮殿
風の宮殿

ジャイプールでは、ハワーマハルHawa Mahal (「風の宮殿」)と、ジャンタルマンタルJanuary Mantar 天文台を見学しました。18世紀前半に建設された大型日時計がある天体観測施設です。やはり数学に強い国なのですね。

ともかく、インドの大地はとてつもなく広く、連日、数時間バスに揺られてこの3都市間を移動しました。長いバス旅のなか、車窓から見える景色を楽しみましたが、起伏のない広大な荒野が延々と広がっていました。
都市間の高速道路は交通量が多く、時には逆走の車やラクダがいたりしてびっくりしました。都市のまわりには煙を吐く工場群が広がっていて、マスクをしていても鼻の穴あたりだけが黒ずむほどでした。

ジャイプール市内風景
ジャイプール市内風景

フレンドリーなインド人

フマーユーン廟で、大家族ゴッドマザーと並んで
フマーユーン廟で、大家族ゴッドマザーと並んで

インドの人たちはフレンドリーで、フマーユーン廟で声をかけてくれた旅行中の大家族と写真を撮りました。左から6人目の方が一族のゴッドマザーのようでした。

3都市を駆け足でめぐるツアーでしたが、児童文学作品『小公女』に出てくるインド人、壺の中から蛇を出す笛を吹くインド人、と子供の頃空想していたインドとは違う、リアルなインドを見聞してきました。ツアー最終日にお腹をこわしてしまうというオマケつきでしたが…。

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

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