娘母子とのプチ同居

これからは、持続可能で有意義な生活を その4

harumati
2019/08/12 17

C型肝炎、脳出血と病を経験してきたharumatiさん。海外から里帰りする娘母子たちとのプチ同居が毎年夏の恒例になっています。普段は海の向こうに暮らす孫との日々の中で、harumatiさんが新たに気づかされたこととは……。

音読の宿題に取り組む従兄妹を心配そうにのぞきこむ体験入学4年目の孫
音読の宿題に取り組む従兄妹を心配そうにのぞきこむ体験入学4年目の孫
【目次】
  1. 2011年夏、娘母子とのプチ同居の始まり
  2. 8年目のプチ同居、今年の夏
  3. Sustainable and meaningful living教訓その4

2011年夏、娘母子とのプチ同居の始まり

ぎらぎらと照りつける真夏の太陽と蝉しぐれの中、8月を迎えました。これからが夏本番。
でも我が家の夏は、今日で終わり。1カ月間の娘母子とのプチ同居が終わり、昨日、娘母子は、関西空港からボストンへと帰って行きました。

長女の長男、つまり初孫が、小学1年生になった年からそれは始まりました。ちょうどその年は、私の定年退職の年でもありました。

私はフルタイムで働きながらの子育てだったので、自分の子どもたちにはしてやれなかったことも、孫には全部してやりたいと、今まで仕事に向けていた情熱をすべて注ぐ意気込みで、夏に娘母子を迎えました。まだ1歳だった女の子と6歳になった男の子を連れて、飛行機を3回乗り継いで、6月末に娘母子はやってきました。

アメリカ生まれ、アメリカ育ちの6歳になった息子を、自分の母校である地元の小学校に体験入学させ、日本語や日本の学校文化を体験させたいというのが最も大きな目的でした。家庭ではポーランド人の夫の協力のもと、日本語で会話し、日本食の多い食事をし、毎日日本語の絵本を読み聞かせ、ポーランド語のアニメーションビデオを見せるという生活をしていました。もちろん学校は現地校。英語での授業、英語で遊ぶ友達、スーパーや遊園地で聞こえてくるアナウンスや音楽も全て英語という環境です。

日本に来てから2日目、時差ボケの回復も待たずに登校。黄色の安全帽を被って集団登校する孫の姿は、すっかり日本人。学校が終わって帰宅するや否や、「暑かったあ!」と、玄関の上がり框に座り込み、水筒のお茶をごくごく飲む姿は、幼かった頃の息子にそっくり。日本語の絵本の読み聞かせの成果か、宿題の音読の表現豊かなこと! 初めての給食にもすぐに馴染み、これまた初めての給食・掃除当番も違和感なくやれているようでした。子どもの順応性には驚くばかりでした(アメリカの学校では、当番や係りの活動はありません)。

困ったのは、プール学習。現地校では、プール学習はまったくありません。それでも、先生やお友達に温かく見守ってもらいながら、顔をつけ、恐る恐る足を放してダルマ浮き。体を伸ばして伏し浮きができるようになったのが4年生。6年生になって、どうにか、息継ぎなしで15mほど泳げるようになりました。

8年目のプチ同居、今年の夏

地元の小学校に体験入学を受け入れて頂いて始まる我が家の夏
地元の小学校に体験入学を受け入れて頂いて始まる我が家の夏

今年は、小学4年生になった娘と、ニューヨークに住む次女の息子3年生とを連れて、長女はやってきました。

次女の息子にとっては、今年が初めての体験入学。東京で生まれ、4歳まで日本の保育園に通い、5歳でニューヨークに引っ越し、現地のプリスクールに慣れるのに苦労したものの、父親が、生まれも育ちもニューヨークということもあってか、今ではすっかりアメリカ人。次女はニューヨークでフルタイムの仕事に就いているため、息子と一緒に日本に来ることができません。

去年のプチ同居後、半年かけて、長女の協力がどこまで得られるのか、脳出血の後遺症のため体の自由がきかない私に何ができるのか、夫が親代わりを務められるのか等を相談しつつ、10日遅れで次女が合流する段取りをつけ、実現したものです。

新聞のクロスワードにも挑戦できるようになった
新聞のクロスワードにも挑戦できるようになった

やはり、子どもの順応性は素晴らしい!! 登校3日目には、下校後、学校の運動場へ出かけ、ちゃっかり学童保育の子ども達に混ぜてもらってサッカーに興じているのでした(ニューヨークでは、どこへ出かけるにも親の付き添いが必要。登下校もスクールバス。低学年の子が学校へ一人で行くなんてあり得ないことなのです)。

困ったのはリコーダー。宿題をさせようとすると、「違う。違う」と、怒り出しました。アメリカの小学校では、ドレミではなく、CDE、階名ではなく音名で習うそうなのです。長女が、階名にすべて音名をつけて、ようやく納得。張り切って練習するようになりました。

終業式の日の夜、和食の店を予約し、日本の学校生活にすっかり馴染み、楽しめたことを喜び合い、それを支えてくれた長女母子への感謝もこめて、次女、夫、息子、私の7人で会食をしました。

今年二人の孫がおぼえた日本語は「なんでやねん!」

Sustainable and meaningful living教訓その4

庭のプチトマトの収穫が日課
庭のプチトマトの収穫が日課

この8年間の娘母子とのプチ同居の中では、様々な確執もありました。1歳半というイヤイヤ期に初めて我が家にやってきた孫娘が、残念なことになかなか私に馴染まず、ひとときも母親から離れなかったのです。疲れ果てた娘は発熱と嘔吐。娘が、日本の運転免許を更新するための手続きをしている間も、何とか寝かしつけ、起きないようにと車に乗せて走り続けたことも。娘も、私も疲れ果てました。

当時はまだ東京に住んでいた次女家族が、我が家で合流し、多人数の世話に参ってしまったこともありました。「プチ同居は、1カ月ぐらいにしてほしい」「2家族同時に我が家に滞在するのはやめてほしい」等々薄情とも思えることも言いながら続けてきたプチ同居。

私が脳出血で右半身不随になってからのこの3年間は、更に条件が厳しくなって、続けるのは無理かもと、思った年もありました。でも結局は、1年も飛ばすことなくプチ同居、小学校への体験入学を続け、今年は広げる事さえできたのです。

そして、終業式の翌々日には、次女の夫が、両家の中学生のお兄ちゃんたちを連れて来日。キッチン付のアコモデーションに総勢10人が集合して、日本の夏を楽しみました。

そして、今思うのです。柔らかい心を失いさえしなければ、人と人の繋がりの中で新しい道が開け、有意義な生活が、持続可能になっていくのだと。

我が家の夏休みの終わりを告げるかのように、夕陽が、木洩れ日となって輝いています。

7月末、強い日差しが照りつける中我が家の夏は終わろうとしている
7月末、強い日差しが照りつける中我が家の夏は終わろうとしている

次回は、Sustainable and meaningful living その5。持続可能で有意義な生活にとって、最も大切でもあり、難しいことでもある、家族のあり方について書いてみたいと思います。

harumati

京都府 /68歳
京都府 /68歳

定年退職・年金生活者。45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から1か月もせず、今度は脳出血に襲われました。1年半の闘病、リハビリ生活後、2018年、旅行・ボランティア・夏休みの娘母子とのプチ同居を3本柱にした、悠々自適のリタイア生活を取り戻すべく仕切り直して再出発しました。

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