波乱万丈な人生

母 いきいきと……

公開日:2019.04.26

花やリボン、シナモンなどのスパイスを駆使して作られるブリオンフラワーの創作過程や、作品に込められた思いなどについてでんさんが紹介していきます。今回は少しブリオンから離れて、でんさんのお母さんのお話です。

三つ子の魂百まで

前回の「母92歳の骨折で起きた人生久々のドタバタ体験」では、左大腿骨骨折をした母のドタバタについて語りました。今回はその続きです。「三つ子の魂百まで」……とはよく言ったものだと思います。この言葉を地で行くお嬢様が私の母です。

村の代表を長年務める曽祖父、銀行の支店長の祖父、しっかり者の祖母、7人兄妹の3人目、次女として生まれました。色白な赤ちゃんで誰もがこの子は長生きはできないと諦めていた中、祖母は、丈夫に成長できると信じ心を砕いてくれました。そのお陰で、私の母も今や元気な93才のおばあちゃんです。

そこで何がお嬢様かというと、心というか考え方、物の見方ですね。

幼い頃は家族に守られ、結婚してからは夫(私の父)に守られてきました。私の父は、亡き後も母の夢によく現れるとのことなので、旅立ってもなお守っていてくれるということです。お父さんすごい!

母の実家は毎日たくさんの人達がおいでになるので、起床するとすぐに身だしなみを整えるのはもちろん、祖母の厳しいしつけで誰もに

「この娘は何処へ出しても、恥ずかしくない、立派にやっていける娘だ」

と太鼓判を押された母でした。

母は今でも本当にすごいです。おっとりしているのに辛抱強く、他人のことは誰でも良い人と考え、自分のことより人のことを優先する、こんな人もいるんだなあと、ずぼらな娘の私は毎度感心するのです。

婚家は山の中

山村
※イメージ

母は「私ほど波乱万丈な人生を生きてきた人はいない」と言い切っています。

母は見合い結婚です。平らな土地から、山の中腹にある小さな村に嫁入りしました。

貴重な白米を毎日炊いたので、米びつがあっという間に底をつく、薄暗い戸棚(昔の戸棚は木の引き戸だったので、中が薄暗かった)の中に置いてあった昆布の佃煮が何かわからず、怖くて触れず奥の方へ隠したり……と、次々と伝説を作っていきます。

山の農家では水田ではなく「おかぼ」という米、麦やいも類等を作り主食としたようです。当然、麦ご飯です。

姑は「うちの嫁ごは米しか炊けない」と言っていたとか……。

村の人たちも「本当によくもまあ、こんな山ん中に、里から嫁ごがきたもんだ」と母の花嫁姿を見るまでは半信半疑だったそう。

山の農家は坂での仕事です。片足に力を入れ、他方の足は曲げ気味にし、バランスを取りながらの仕事です。幼い頃は番頭さんの肩車でお祭りを見に出掛けていたような母が「しょいた」を背負って、山の斜面を登り降りするのですから、相当の重労働だと思います。

それでも母はがんばりました。がんばりすぎて「腰椎変形症」になってしまいました。コルセットをつけても足が痺れ、痛みが酷く家の周りを歩くことができるまで10年以上かかりました。

その間、山の生活から群馬県高崎の町へ転居しました。平らな土地での生活になったのですが、コルセットは何度か作り替え、80才代までつけ続けました。

腰に加え、膝も痛め、子宮筋腫の手術、ときどき起こるめまい、今回の大腿骨骨折と健康面では母の言う通り波乱万丈です。

それでも母は私の見る限り穏やかでした。

あの頃の母の年になって

スズメ
※イメージ

母が60才の頃、朝からスズメ達を眺め「可愛くて見ていて飽きない」とよく眺めていました。

その頃の私は30代で子育て真っ最中。1分の時間も惜しむくらい忙しい毎日。スズメ達の可愛い仕草も目の中で消えていきました。

母はつまらない娘だなあと呆れていたかもしれません。

綾小路きみまろさんではないですが、あれから33年。今我が家の庭には河津桜が満開。スズメの他になんとメジロやセキレイ、ムクドリまで発見。蜜を吸い蕾をついばむのです。可愛い!! 飽きない! お母さん、私お母さんの気持ちがわかる年になっていましたよ。

お母さん、今年はひ孫が8人になります。

どんどん写真の祖母に似てくる母。目の前のことをひとつひとつ精一杯の努力でこなしてきたのだろうと思うと、少し小さくなった背中がいとおしいです。

最近は昔話をよくします。幼馴染みの名前を言って

「〇〇ちゃんは元気でいるかねぇ」

「きっと元気にしているよ。会えると良いね。お母さん」

いつも決まってする会話です。

お母さんは元気で長生きしてちょうだいね。

一人前になるということ

親が子に残す贈り物は、人間として幸せに生きていく術を見つけ出し、次の世代にバトンタッチできるよう、子どもに自分の生きざまを見せて行くことなのかなあ、と思います。

そして最後の別れの悲しみから立ち直ったとき、やっと一人立ちが出来るのでしょうか。

文章に書くと、忙しがって見えていなかった母の姿が見えてきました。

また機会があったら、母のお嬢様ぶりを書いてみたいと考えています。

次回は久しぶりにブリオンフラワー作りができた楽しさをお伝えしたいです。

でん

ドイツ、オーストリアで生まれた、永い時を経て作り続けられているブリオンフラワーと言う作品作りに夢中になっている、62歳の主婦です。製作材料の1つにハーブを使うので、香りに癒され、美しいブリオンの光に魅了され、可憐で、しかし難しく一筋縄ではいかない不思議な魅力をお伝えできればと思います。

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