
足の爪が切りづらい方必見!
年齢とともに爪の形が変化し、「足の爪が切りづらい」「爪が巻いてきてどう切ればいいか分からない」と悩んでいませんか?トラブルを防ぐための正しい爪のケア方法を専門家に伺いました。
公開日:2025年06月30日
通信制 山本ふみこさんのエッセー講座第10期第3回
随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクの通信制エッセー講座。第10期3回目のテーマは「ところどころ」。堺なおこさんの作品「朝の儀式」と山本さんの講評です。
天井を見上げながら泣くと涙がつっーと耳の中に入っていく。
その夜はどん底の気持ちだった。悲しみに突き落とされ、悲しみはまた胸の奥から突き上がってくる。いっそ自分がなくなってしまえばいい。闇が大きな口を開ける。
その時玄関で「コトリ」と音がした。続いてバイクが走り去る音。
朝刊が届いた。
「夜が明ける、朝が来る。」
私は救われた。
あの夜は幼子がむずかり泣き止まず、先の見えない育児にほとほと疲れ果てていた。
この子がいなければ……。その時玄関で「ガサッ」と音がした。
チラシを大量に挟んだ朝刊が届いた。思わず子供服のチラシを手に取る。我が子に似合う服はどれだろう。
口角が上がるのを感じた。
私は救われた。
時は流れ、年を重ね、新聞を紙で読むことがおっくうになってきた。
なにより古新聞とチラシが溜まるのが嫌だ。1か月分まとめて古紙として出すのにも力がいる。紙は重たい。
デジタル新聞を契約し、最新ニュースはオンラインでチェックすることにした。
だけどなんだか寂しいのである。
情報は翌朝まで待たなくても手に入る。興味ある記事はまとめて読める。しかし、ページをめくる感触や、紙の質感、重みなど五感で感じるものがない。
まして、あの「コトリ」や「ガサッ」「バイクの走り去る音」。
希望と共に新しい朝が来る儀式がない。
ネットは、検索履歴からAIが私好みの情報を選び、次から次へとシャワーの様に浴びせてくれる。
しかし新聞はそうはいかない。まずは見出しから自分が必要な記事を見つけ、縦書きの文字を読む。文字が小さいので難儀する。
それでも心は満たされる。
新聞の定期購読を再開した。
6月になり日の出は早い。
4時には明るくなり、今朝も新聞配達のバイクがひとつ先のかどを曲がったのがわかる。
あと1分もしないうちに、我が家の新聞受けに、AIではなく人の手が新聞を投げ込む音が聞こえるだろう。
ただ、今の私はあの時の様に夜の闇に震えている訳ではない。
早くに目が覚めてしまうのだ。
まずは両手で新聞を開きインクの匂いをかいでみる。それに交じって夏は青草の匂い、冬は北国特有の雪の匂い、雨の日はインクが発酵したような匂いがする。
まず見出しを読み、気になる記事に青ペンで線を引く。
だからといって後日読み返すわけではない。
ところどころ、新聞に青線が引かれているのを確認するのが嬉しいのである。
全ては 私が選んだ記事。
これが今の私の朝の儀式である。
誰にも、闇のなかでもがくような経験の記憶があります。
仮に、「わたしにはそんな経験はありません」と明るい顔で云い放つひとがあったとして、そのひとをわたしはうらやましいとは思いません。
一方、ひとに支えられ、恵まれた経験を持たないひともまた、ないのです。
仮に、「わたしにはそんな経験はありません」と暗い顔でつぶやくひとがあったとして、そのひとをわたしは気の毒だとは思いません。
ただ、気がついているか、気がついていないか、です。
ひとはこの世でもがくほどの経験をとおして学ぶために生まれてきているし、たとえそれがもがくほどのことでなく済んだとしても、この世には悲しみと苦悩が満ちていますもの。
そうして、気がついていても気がつかなくても、ひとは小さな恩恵に包まれて生きていますもの。
話が長くなりました。
「朝の儀式」を読んで、わたしは得心し、励まされる思いがしました。
作家の1日をはじめるものが、ひとの手で配達される「新聞」であるというのにも共感します。
(なおこさん、わたしも新聞を音読し、色鉛筆で線を引いています。使うのはオレンジ色のダーマトグラフ)。
過去の悲しみはともかくとして、日日与えられる小さな事ごとが、生きるよろこびにつながっていることをあきらかに見せていただきました。このこと
——日日の一瞬一瞬、一歩一歩の積み重ねが生きるよろこびにつながっている
——は、エッセー・随筆を書く上で忘れてはいけない地点だと感じます。
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は講座の受講期間の半年間、毎月1回出されるテーマについて書き、講師で随筆家の山本ふみこさんから添削やアドバイスを受けられます。
■エッセー作品一覧■
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